ロマンディ一周のプレスのドンは、アルペンスキーのワールドカップ創始者の息子

1999年に亡くなったが、かつてセルジュ・ラングというジャーナリストがいた。スキー界では、知る人ぞ知る重鎮だ。なにしろ、アルペンスキーのワールドカップを考案した人物。
1965年、ツール・ド・フランス開催中にツールを主催していたレキップのジャック・ゴデ氏がラングに相談を持ちかける。”なんとかスキーを盛り上げる工夫をしたいのだが”、と。ラングは、スキーのみならず、自転車競技に関しても記事を書いていた。彼は年間で累積するポイント制度を提案し、これがワールドカップの礎となった。息子パトリックもジャーナリストとして、スキー界、自転車界で活躍している。ツール・ド・ロマンディではプレスのヘッドとして、達者な語学力を駆使して自ら選手のインタビューもこなしていた。
先のロマンディレポートの中で、”「ベップ・バンザイ」とジャーナリストから日本語で言われた”、と書いたが、言ったのはこのパトリック・ラング氏だった。写真はイゴール・アントンに勝利インタビューをするパトリック・ラング。フランス人だがスイス在住でフランス語とドイツ語が母国語。そのほかの言語も達者。
参照:
http://www.skinet.co.jp/ski-and-ski/work/History/Hist1.htm
http://www.skiinghistory.org/worldcuphistory.htm