USPで走っていたせいでザブリスキーに後遺症

CSCに来る前に、4年間USPで走っていたザブリスキー。USPという特殊なワンマンチームにいたために、ザブリスキーはチームの中では、ひたすら受身でおとなしくしているのが自転車選手だという思想を植えつけられていた。だから、CSCにきたとき、余りにカルチャーが違っていて、すぐにチームに馴染めなかったそうだ。ジューリックのインタビューにそのへんのいきさつが載っている。

ザブリスキーは、今年のツールでTTTの際、悲惨な転倒事故があったが、あれで、チームワークに目覚めたという。ジューリックの分析はこうだ。

USPはワンマン・ショーのチーム。そこにザブリスキーは4年間(2001〜04年まで)もいた。そこで求められることは頭を垂れて(はむかわず、服従し)、トラブルを避け続けること。つまり、全くCSCとは違う世界にいたという。

チームに彼がきたとき、チームメートとまじわるのを嫌った。というより、みんなの行動が不可思議で仕方なかった。チームメートたちの自転車への取組がここまでシリアスであるということが納得できなかった。ただ楽しいだけでなく、時に抗鬱剤を打つほどまでに悩んだり、真剣に相手にゲキを飛ばしたりといった、チーム全員の真剣勝負の雰囲気。

それが、あのツールのTTTクラッシュで変わる。彼はリタイヤする代わりに、チームメートに支えられて翌日も走った。チームは結束していた。デイヴのことを見放すことはなかった。ザブリスキーCSCというチームをやっと理解し、CSCの本当の一員になった瞬間だった。