ブルセギンの言葉

私も昨日のリクイガスマッサー中野さんのDiaryエントリーにあったブルセギンの言葉にひどく惹かれたひとりなのだけど、
・ 風邪のマスクを見て、「相手を尊重する習慣」と受け留め評価している彼の視点に、私は逆に彼の他人への思いやりだとか、それを念頭においた姿勢を感じた。いままで、「日本人のマスクは不気味」などと外国の人から言われてきただけに、新鮮だった。
霜降り肉の評価ポイントの中に味だけでなく、コストパフォーマンスも入れているということからうかがわれる堅実さ
・「マニュアル化されすぎた形態の飲食店や従業員が多い」のがネガティブに映り、「人が考えるのを否定させられている」と発言したというところは、マニュアル化した一律のムラのない丁寧に感激する外人の声を聞いてきただけに、意外にも思ったけど、人と人とのふれあい・ぬくもりを大切にしながら生きているイタリア人ならではと思った。ヴァレーゼに行った時、会場や空港へのバス乗り場表示が一切なかった。辿り着くまでにいったいどれだけ多くの人に聞きまくったことか。不親切!と思ったけど、ふとこんなふうに思った。イタリアに住む人には、わからなければこうやって、いろんな人と会話しながら辿り着けるからいいじゃない、そんな姿勢があるんじゃないだろうかと。不便さの代償は決して否定的なものばかりでなく、知らぬままにふと気がつくといろんな人に声をかけるハメになっていて、聞くたびに相手は決して過度に親切とかいうわけじゃないのだけど、ごくさりげない暖かさを感じることができた。なんだか日本よりも他人としゃべる機会が多いや、とつくづく思ったのだった。
それと、ブルセギンの「(それでは)人が考えなくなる」という言葉。無線により監督からの指示のままに走る選手が増えていることに対し、彼自身問題意識を持っているということなのじゃないかな、とも。
・「(イタリアの山奥に住む)俺が全く関係のない東京居る事に、どんな意味があったのか理解するのに時間がかかりそうだけど、来日したのは大正解だった」の言葉にほっとする。実はブルセギンが来ると聞いて、真っ先に懸念したことがあった。永井さんが以前話していた内容によると、ブルセギンは都会が嫌いで、悪天候だと下山ができなくなるような山奥にいるんだとか。都会嫌いの彼が対極の東京にきて、いったいどんな思いを抱くのか、、、でもそんな心配は不要だったみたい。もっとも中野さんという信頼おける心強い知り合いがいたからこそ、とも思う。